【解説】箱根カントリー倶楽部って? どんな自然があるの?

外輪山に囲まれた鍋底に、箱根カントリー倶楽部

 箱根カントリー倶楽部は、仙石原にあるゴルフ場です。

 しかしなぜか、その中に、樹林地、ススキ草原、湧水地帯、湿地原生林、大小の池沼や湿地があり、中心には蛇行する早川源流と河跡湖まであります。

 箱根火山の歴史と仙石原のかつて人々の暮らしと自然を体感できます。以下にその成立過程や自然を紹介します。

    伊豆川哲也 更新中

■山体崩壊による仙石原湖の成立

 数万年前の大涌谷の大噴火(箱根の地形的な最後の大噴火)により、箱根の中央火口丘の山体崩壊が発生し、崩壊した土砂が大涌谷から西側(小塚山方向)へ流れ、早川がせき止められ、仙石原湖ができました(2万8千年前)。

 仙石原湖は、その後、小塚山側がら流出する早川の浸食により水位面標高が下がり、また、箱根や富士山の火山灰や、地震の地滑りで湖底が埋められ、旧石器時代、縄文時代と年々浅くなり、約5000年前(弥生時代)には、抽水植物(ヨシ等)に覆われた仙石原湿原になりました。

 約3000年前に大涌谷の南側の神山が噴火し、早川がせき止められ芦ノ湖ができました。

 仙石原湿原は、約5000年前に湖から湿原になりましたが、その後は火山活動や地震により乾燥と湿潤を年代毎に繰り返し、現在は湿原になっています。

■氾濫原ではヨシ原湿原とススキ草原の両方がモザイク状に成立

 箱根カントリー倶楽部のある仙石原は、かつてあった仙石原湖の湖底に位置します。湖底は、ほとんど勾配の無い平坦地のため、芦ノ湖から流れ出た早川が蛇行し、大雨毎に氾濫し河道を変える「氾濫原」となっていました。

●ヨシ原湿原の成立

氾濫原では、数百年の間に、河道や旧河道(河跡湖や三日月湖と称する)になった小エリアと、偶然河道にならなかった小エリアで、地盤高で数メートルの差(微地形といいます)ができます。この数メートルの差は、地下水位の差となり、微地形で地盤高の低い方(河岸や旧河道)は根腐れに強いヨシが生え、ヨシ原湿原となりました。

●ススキ草原の成立

 一方、微地形の地盤高の高い方は、土中に酸素があるのでススキなどの陸の草や、ハンノキ類、ウツギ類等の先駆性樹木が生え始め、乾性遷移が始まります。ところが、ここで弥生人の登場です。定住農耕人をはじめた弥生人にとってススキやヨシの刈草が重要な生活資源でした。刈草は、茅葺き屋根材、牛馬の餌、農地の肥料になりました。

●乾性遷移の抑制によるススキ草原の拡大

 ススキやヨシは、根茎越冬のため、同じ場所で毎年刈り取りができる優れた資源だったのです。刈り取りをすることで、先駆性樹木の繁茂を同時に抑制してました。冬までに刈り取り残してしまった場所は先駆性樹木により樹林化してしまうので、火入れをして樹林化を抑制しました。

 その後、江戸時代、明治時代と仙石原の人口増加に伴い、刈草の需要が高まり、外輪山のブナ林を伐採してススキ草原を広げてゆきました。そしてついには外輪山の尾根や台が岳の山頂まで、緩傾斜地はほぼ全てススキ草原となり、刈り取り困難な外輪山の急傾斜地が建築材の植林地とされ、さらに急傾斜地にブナ原生林が、わずかに残りました。

 ↑耕牧舎跡地 長尾峠から早川や大涌谷を望む

     大正期 嶋写真店(宮ノ下)

  ↑明治時代の牛馬写真 耕牧舎

■戦後とゴルフ場設計

 刈草を資源とした地産地消の文化は、茅葺き屋根が主流だった第二次世界大戦直後まで続きました。つまり第二次世界大戦直後までは、外輪山の尾根まで緩傾斜地はススキ草原で、湿地はヨシ原や水田になってました。

 この時期の植生は、1946年に米軍による空撮写真等で判ります。(国土地理院Webサービス)

 この氾濫原をゴルフコースにして箱根カントリー倶楽部ができました(1954年開場)。

 ゴルフコースの設計に当たっては、普通のゴルフ場の倍近くという十分な用地が確保できたので、氾濫原の中の微地形(数メートルの地盤高の凸凹)を活かしました。具体的には、微地形の凹地(河道や湿地、池沼)は、歩行も困難なため、そのまま残し、微地形の凸地のススキを刈取り、芝を植栽しゴルフコースにしました。このため、ほぼ土地造成無し、樹木伐採無しでゴルフ場ができました。

 このため現在でも、湿地が残り、早川が蛇行し、旧河道の河跡湖を見ることができます。

■イタリ池と水鳥

湿地の中の窪地の沼(イタリ池)には、芦ノ湖とは異なる水鳥が集まります。池の周辺は無数の湧水が網の目のように流れるハンノキ等の湿地原生林が残っています。

■陸の小鳥

 湧水を集め、場内の中心部、鍋底の底に早川が流れます。蛇行する早川沿いは、渓畔林が残り、コサメビタキやオオルリ、キビタキ、カワセミ等が繁殖します。

 冬には湿地原生林のハンノキの実や、草原でススキ等のイネ科の種子を食べにアオジやウソ、ベニマシコ、カシラダカ等が越冬します。

■蛇行する早川、渓畔林

 鍋底の底は、勾配がゆるいため早川が蛇行し氾濫原となっていました。このため、かつて河道だった凹地が河跡湖(池や湿地)として点在し、ミズバショウ(植栽)、リュウキンカ(植栽)、ノハナショウブ、ミクリ、カヤツリグサ等の湿原植物やトンボが楽しめます。

■湧水の池沼では初夏にカエルの鳴き声が響きホタルが舞います。

   ↑ヘイケホタル

   ↑ゲンジホタルの発光

■長年維持された半自然草原

 江戸時代以前から茅葺き屋根や牛馬飼料のために萱場とされ、ゴルフ場となってからは、コース間に小さな草原が長年、維持されているためアヤメ、ワレモコウ等の草原植物も楽しむことができます。

■水の流れと気温から仙石原の本来の植生(草原、湿地林)を体感していただき、それを持続的に利用(茅葺き屋根、牛馬飼料)してきた戦前までの人々の暮らしを忍ぶことができます。

■新1万円札の顔

 新1万円札の顔となった渋沢栄一(資本主義の父)や仙石原村長の須永伝蔵らによる野心的な投資事業(日本初の西洋式牧場、温泉別荘地開発など)によりリゾート地「箱根」ができあがった歴史をご案内します。

■いきもの共生事業所(認証) 

ゴルフ場開発と言えば、一般的にはバブル期のリゾート開発の典型例として森林伐採による自然破壊のイメージがありました。しかし箱根カントリー倶楽部は、その逆で、草原を利用したため森林伐採せずにゴルフ場を開設(1954年)することができました。

 普通のゴルフ場の倍の敷地を有しており、ゴルフ場としての芝や施設開発は、敷地の半分程度だけしか使っていません。
 さらに広大な敷地は、鍋底型の地形となっており、豊富な湧水地帯なのです。このため、敷地内には、湧水地帯、湿地原生林、大小の池沼や湿原があり、中央には蛇行する早川源流や河跡湖もあり、箱根火山の歴史と仙石原のかつての自然を体感できます。

 またゴルフ場経営が続くことで、乱開発や別荘地分譲されずに場内に残る自然(湿地原生林や蛇行河川、草原)を残すことができました。

また戦後、全国で行われた拡大造林の時代に、箱根カントリー倶楽部もスギ・ヒノキを植林しました。しかし本来の箱根の植生に戻すため1990年頃からスギ・ヒノキを伐採し、郷土種の植樹を開始しました。

 これらの功績が認められ箱根カントリー倶楽部は、「いきもの共生事業所」のゴルフ場版で初認証されました(一般社団法人いきもの共生事業推進協議会(ABINC)

★関連リンク→ネイチャーツアーin箱根カントリー倶楽部2025

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